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クラシックギター製作塾・tamaniwaワークショップ

 

ギターに関すること

 

バックナンバー

 

 

No.22 ジョン・ウィリアムズ

 

img57152012年10月末に届いた本、「string attached The life & Music of John Williams」からいくつか記憶に残ったことを書き連ねてみます。

ジョンの生い立ちや神童ぶりなどは、ギターファンなら誰でも知っていることだろうから、ここでは触れないことにします。

これもよく知られていることだが、ギターを学ぶひとに対して彼も彼の父親のLenも同じように勧めていることがある。それはアンサンブル、合奏です。お互いを観察することから学ぶことがいかに多いか。他の音楽家とうまく活動するためには、アンサンブルは欠かすことのできない要素だとジョンは信じているようです。ソロで活躍している演奏家でもそれは必要なのだという。下手ながら合奏を楽しんでいる私としてはこれは納得。

 

それからバリオスに関しての記事。ジョンが初めてバリオスの曲の存在に気づいたのは1950年代、イタリア、シエナで勉強していた頃のことです。一緒に勉強していたヴェネスエラのアリリオ・ディアスから曲を紹介されました。その作品の素晴らしさに感動したジョンは、その後60曲くらいの作品を手に入れます。やがて"John Williams Plays Barrioos"をリリース。パラグァイのバリオスは世界中に知られることになりました。同じパラグァイ出身のギタリスト、ベルタ・ロハスはジョンのおかげでこのラテンアメリカの作曲家の音楽の品位が高められたと言っています。そしてセゴビアがこれを聞いたらきっと私たちを罰しただろうとも。

セゴビア云々の背景にはセゴビアの世界観があります。セゴビアは典型的な古いスペイン的なものの見方しかできないひとでした。彼にとっては南米はあくまでもスペインの植民地であり、文化的にも劣る野蛮の地でしかなかったのです。確かに当時のパラグアイではバリオスはガット弦を手に入れることができず、やむをえずスティール弦で弾いていた時代もありました。それをセゴビアはあんな針金で何ができるかと公言していたそうです。

セゴビアは彼のクラスではバリオスを演奏することを禁じていたらしい。演奏どころか話題にするだけで怒ったそうです。この本のなかでジョンはこういっています。

バリオスはむずかしすぎてセゴビアには弾けなかったのだろう。というのはそれにふさわしいテクニックやロマンティックな精神を表す方法を持ち合わせていなかったからだろうと。

 

誤解を招かないようにつけ加えておきますが、ジョンは決してセゴビアを認めていないわけではありません。クラシックギターを現在の地位に定着させた功績はもちろん認めています。そんなセゴビアにもある種俗物的な欠点があったと言っているのです。

 

最後に「咳」について。ジョン・ウィリアムズはステージではすました顔で演奏しているが、客席から聞こえてくる咳払いはとても気になるらしい。なぜハンカチで口を押さえるという最低の作法を心得てくれないのだろうと嘆いています。その心配のある人は咳止めドロップだってあるではないかと。おおきな咳は演奏者はもちろんのこと、聴衆にとっても迷惑なことです。ことに曲の静かな部分で咳をされると曲全体がぶちこわしになってしまうことがあるから。

 

さてジョンは2013年秋日本に来ます。これを最後にツアーから引退するそうです。このまま演奏から手を引くということはないことと思います。ブリームのようにいつまでもギターを抱えていてほしいものでdす。そして時には自宅の近くの小さなホールでリサイタルをやってほしい。いつかそれを聞いている30人の中にいたいものです。

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